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ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2017/06/19

ひと昔前の山を感じながら。。。~徳本峠越え その1~



でこそ車で入れる上高地ですが、その昔は徳本峠を越えないと入れなかったのは有名な話。車道ができるまでは「上高地を俗塵より保護する関門」と呼ばれたその道を辿ってきました。

家から電車が当時っぽくてよいとは思ったのですが諸事情により当時の松本電鉄新村駅から乗車します。
初めて知りましたが、今も硬い紙の切符で、これは昔っぽくてよい感じですね。


学生時代を思い出しながら電車に揺られて新島々駅に到着。
旧波田町の赤松地籍にあるので、元々は赤松駅と呼ばれていました。
続きの線路はもともと島々まで通じていたときのもの。
集中豪雨の土砂崩れで復旧困難となり廃止となりました。
明日の峠越えに備えて鋭気を蓄えます。


島々集落に移動して、いよいよ歩き始めます。
ここから林道入口までの桜並木のある道、
堤防のように道路が延びていて以前から違和感を感じていましたが、
森林鉄道が通っていたということなので、その跡のようです。これから追加調査してみます。
(訂正)森林鉄道は対岸を通っており、この堤防は本来の堤防だったようです。
獣害を防ぐためのフェンスを抜けて、林道を進みます。

馬頭観音がいらっしゃいました。
その昔、上高地や島々谷から木材を運び出した頃の名残でしょうか。
山の神さま。
昔の飯場(杣人の宿泊所)や土場(貯木場)の跡でしょうか。これも調べてみましょう。
いろいろ勉強していく度に疑問もまた増えていきます。
三木秀綱のご夫人の遭難慰霊碑。
斬られてしまった当時の逸話やその後の供養のお話を聞くと、
当時の人々の宗教観や自然に対する感覚がよくわかります。
二俣に到着して、ここからいよいよ本格的に山歩きです。
あ、ここから堰堤までの土手みたいな道もトロッコ軌道の跡です。
ここはどう見ても不自然なのでよくわかります。


新緑を愛でつつ、沢の音を聞きつつ、、、
飽きませんね。
昔の炭焼き小屋の跡。
沢沿いなのでところどころ抜けてしまうのは仕方ないこと。
このため、往時は尾根にも道があったといいますが、今はどうなっているのでしょう?
岩壁が川岸まで張り出しているところでは手彫りで道が付けられています。


戦後しばらくまで岩魚留まで森林鉄道があったということですが、沢沿いで崩れも激しく、
もはやその面影のないところも多いですね。よく探すとレールが見つかることもあるといいますが。。。

このあたりはわかりやすいですね。


あがりこになっていますね。
えっと、一般的な言葉で言うとなんて言うんだっけ。

ちょうどお昼に岩魚留に到着です。
これからが登りの本番なので、しっかり腹ごしらえします。
これが岩魚留の滝。
右に左に渡りながら、傾斜を増した沢を遡っていきます。

島々から13kmも歩いてきました。
昔の人は一気に明神まで歩ききっていたことも多いわけですから
こんなことを言うと馬鹿にされちゃいますが、あと2.8kmが遠いです。
きれいな緑のじゅうたん。でも、藪漕ぎはごめんです(笑)

南沢の本流を外れて峠沢に入り、本格的に峠に向かって登っていきます。
おんぶの木。
まだまだ先は長いです。
力水で一息。
これまでどれだけの人の喉を潤してきたことでしょう。
まだまだ登ります。
ようやくあと1km、というか、十丁といった方が昔っぽくてよいかも。
ついでに丁石を置いてみるなんてのも一興かも(笑)
開きかけのサンカヨウが力をくれます。
お、ニリンソウとトリカブトです。
出たてだと色や切れ込みの鋭さの違いもわかりにくいので、
枝分かれの仕方の違いをしっかり確認しないといけません。
あと少し!
遙々登ってきました。
早く出た甲斐あって、無事に明るいうちに到着しました。お疲れさまでした~。
穂高は霧に包まれて見えませんでしたが、翌日の好天予想に期待です。



明日は上高地へと下ります。(続く)


 
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